情報時代を生きる

  1. 1989年に起こったこと
  2. 産業時代の生き方とは
  3. 情報時代を生きるには

1989年に起こったこと

ロバート・キヨサキは『金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント』のなかで、大きな時代の変化について注意を促している。

1989年は時代の節目だった、とキヨサキは指摘する。

日本がちょうど昭和から平成へと元号を変えたこの年、ヨーロッパではベルリンの壁が崩壊した。

これによって東西冷戦という長年の構造が崩れたが、それと同時期にインターネットによる情報時代の幕開けが訪れたと言う。

このことは、私たちにとってどんな意味をもっているのか。

産業時代の生き方とは

キヨサキは「なぜかわからないが、近代の歴史は500年ごとに大きな変化を迎えている」と言う。

1942年のコロンブスの航海は、産業時代の幕開けとほぼ同時期に起こっている。

そしてそれからほぼ500年後の1989年のできごとは、産業時代の終わりを象徴しているのではないか、とも言う。

産業時代の終わりとは何か。

それは、アメリカを代表する企業の一つ、ゼネラルモーターズを見ればわかる。

かつて非常に手厚く従業員を遇してきたGMだが、業績が悪化し、従業員は企業年金や公的年金、医療保険、安定雇用といった有利な条件を手放しつつある。

工場の生産ラインを動かす人手を確保するために、従業員の老後まで保障する、という時代はかなたに去ってしまった。

情報時代を生きるには

産業時代には、学校に通い卒業し、安定した企業に就職すれば職業人としてスタートでき、生涯を通して安泰だった。

だが時代が情報時代へと移ったことで、その安泰は私たちの前から消えようとしている。

自分の将来の経済的安定を、企業や政府が責任を持って保証していると期待している人たちは、これから失望することになるだろう、とキヨサキは言う。

これ以降、何が起こるかは占い師でないかぎりはわからない。

何かを言い切ることは、かえって無責任になりかねない。

だがとにかく、自分の未来は自分で切り開いていく必要があることを、よく認識したほうがいい。

よくアンテナをはりめぐらし、自らのネットワークを活かし、経済的自由を目指して行動しよう。