道は開ける

  1. キヨサキは作文が苦手だった
  2. 多くの人に伝えたい
  3. やりとげたいという気持ちが原点に

キヨサキは作文が苦手だった

ロバート・キヨサキ自身が「金持ち父さんシリーズ」(筑摩書房刊)のなかで繰り返し書いていることだが、彼は高校の時に作文で落第点をとったことがある。

彼は本を読んで学ぶことが苦手だったし、文章を書くことも得意ではなかった。
また、授業中も落ち着きがなかったので、よく注意を受けていたという。
今ならおそらく「学習障害」と言われただろうと、彼自身が書いている。

そのキヨサキがなぜ「金持ち父さん貧乏父さん」という世界的ベストセラーを書くことができたのだろうか。

多くの人に伝えたい

それにはいくつもの理由があるが、一番大きいのは彼が「多くの人に伝えたい」と心の底から思ったことかもしれない。

キヨサキが「金持ち父さん貧乏父さん」を書き、キャッシュフローというゲームを作り出したのは、より多くの人にお金についての考え方を伝えたかったからだ。

それより前、彼はシミュレーションで体験しながら学ぶ、という形で起業や投資についての高額セミナーを行う会社を作り成功した。
少人数で体験しながら学ぶというセミナー形式のいいところは、モチベーションを上げ集中することで、短期間で新しい考えを身につけることができるという点だ。

問題点は、1人数十万円という費用がかかることと、限られた数の人にしか伝えられないというところにあった。

やりとげたいという気持ちが原点に

その問題点を解決し、お金についての考え方を多くの人に安い値段で伝えるためにキヨサキが選んだのは、セミナーで行うシミュレーションをゲームの形におきかえることであり、その意味を伝えるためにセミナーで話す内容を本の形にまとめることだった。

3つ目に起業したセミナー会社で成功し不動産投資で十分なキャッシュフローが得られるようになると、キヨサキはリタイアし長期間の休暇をとった。
その休みの間に、作文が得意ではないキヨサキが本を書いたのは、その内容をみんなに伝えたい、という気持ちが強かったからだろう。
そしてその原稿をいくつかの出版社に送ったが、どこも出版するとは言ってくれなかった。

そこで、キヨサキは自分の会社でその本を1000部だけ作り、近所のガソリンスタンドなどに置いてもらったところ、評判が口コミで広がっていき、テレビ出演をきっかけに大ブレイクした。
1000部でスタートした本がいまや全世界で3000万部を超え、いまだに読み継がれているが、その原動力はやはりその原点である「これを多くの人に伝えたい」という思いだろう。
なんとかしてやりとげたいという気持ちから、道は開ける。