1万円札はずっと1万円の価値があるのか

  1. 「フェイクマネー」とは何か
  2. 貨幣はそれ自体に価値があった
  3. そして人は投資に向かう

「フェイクマネー」とは何か

10月末に刊行されたロバート・キヨサキの『金持ち父さんの「これがフェイクだ!」』(筑摩書房刊)で、キヨサキは私たちが日常使っているお金が金(ゴールド)や銀と引き換えることができない不換紙幣であり、それゆえにフェイクマネーだと言う。

つまり、ふだん1万円札は1万円の価値があるものとして流通していて私たちはその価値は変わらないと思っているが、実はずっと同じ価値があるわけではなく、その価値は時とともに変わるということだ。

では実際の価値はどれほどかというと、物やサービスと交換しようとしたときにそれがはっきりする。

そして私たちは「物の値段が上がった」と言うが、それは「お金の価値が下がった」ことを意味するのかもしれない。

そういう目で見ると、今の日経平均株価やダウ平均株価、東京のマンション価格の上昇などが、別の意味をもって見えてくるのではないだろうか。

貨幣はそれ自体に価値があった

お金はもともと金貨や銀貨といった、それ自体に価値のあるものが使われていた。

その代用品として使われるようになった軽くて持ち運びのしやすい紙幣は、最初は兌換紙幣でいわば金(ゴールド)との引換券のようなものだったから、銀行が保有している金の量に比例した額のお金しか流通していなかった。

しかしそれが不換紙幣となってからはその根拠となる金(ゴールド)の保有が不要となり、いわば「刷り放題」の状況となった。

さらに、クレジットカードなどの普及で、消費者が日常的に負債を作り出す形で個人がゼロからお金を創造することさえ当たり前になった。

そして人は投資に向かう

こうしてお金が水増しされてきたことを知ると、はたして目の前にある1万円札は10年後も同じ価値があるのかどうか、疑問に思えてくるのではないだろうか。

いくらお金を貯めたとしても、その価値が徐々に下がっていくとしたら、お金を貯めることにどれだけの意味があるだろう。

そう考えた人たちの中から、手元にあるお金を投資にまわす人たちが出てくる。

金(ゴールド)や美術品や土地など価値の下がらないもの、収益不動産など利益を生み出すもの、あるいは収益を生み出す可能性のある事業(この権利を細かく分割したものが株式だ)など、投資先はさまざまだろう。

つまり投資とは、自分の手元にある富からさらに富を生み出す攻めの行動であるとともに、お金の価値が下落する可能性を考えての守りの行動でもあるのだ。